
"音楽と文学"、そして真の芸術行為
レビュー対象商品: フルトヴェングラー 音と言葉 (単行本)
音と言葉 Ton und Wort と言う原題は(一論文のタイトルでもあるが)さしずめ"音楽と文学"と言う意味で付けられたものであろうか。作曲家、指揮者、そして知性の人のこの論文集は、唯一生前に出版されたもので、主要な32の論文と講演からなっている。
ただの音楽の解釈学でも、演奏法でも、音楽評論でもない巨匠の(文明史論的)論考は、決して音楽から離れる訳ではないが、それ以上の何物かを読者 に考えさせる。アルトゥール・シュナーベルなどの無調音楽作曲家や、新即物主義と言われる芸術運動に鋭く文明の危機を感じ取っていたのであろう。演奏者と しても凡庸な他の指揮者に対して、心の中で批判的に危機を感じ取りながら、有機的、創造的演奏法を目指し実現させてきた。
ベートーベンの音楽について(1918年) 冒頭の論文
"私はここで、かの高名な音楽家、私たちすべてが熟知していると信じ、すでに人間文化の遺産としてゆるぎなき地位を獲得している音楽家について語ろうとしているのでは"ない"。
音楽行為(ムジツィーレン)について、有機的、創造的なそれを目指し、また深く文化的危機に逆らいながら論考しているので、最初から既成概念への否定で出発する。彼の信ずる真の芸術、音楽を語るために、これら断定的否定はよく顔を覗かせる...
ベートーベンと私たち
---「第五シンフォニー」第一楽章に付いての省察(1951年)
第五交響曲は彼の最も得意なレパートリーであり、数々の感動的録音が残されているが、例のリズム動機、リズムテーマの意味するものや演奏法に至る まで、楽譜に基づき事細かに省察している。標題音楽と異なり、絶対音楽には文学的手がかりが何もない状態、しかし、作曲家の意図を楽譜のみから、手稿にも あたって導きだし、(他の指揮者の、フルトヴェングラーは楽譜に基づいていないと言う)批判に答えているようにも見られる...
ベートーヴェン:交響曲第5番
この大部の論文集を締めくくるにあたって、"偉大さはすべて単純である" (1954年)で終わっている。彼自身の経験に基づいて、現代の芸術状況をあくまでも危機的ととらえ、鋭く警鐘を鳴らしている。
参考:
フェルトヴェングラーの手記
フルトヴェングラー 音楽ノート
ヴィルヘルムフルトヴェングラー 権力と栄光 巻末に全ディスコグラフィー
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